修士論文の提出期限が3週間後に迫っている時点で、 最低文字数制限に1万字足りていなかった

今週のお題「人生最大の危機」

大学院生のころの危機の話。結果的にはすべて丸く収まったのだが、当時は常に緊張し恐怖していたのでこの話をするのは実は辛く、他人にはまだ1度も話したことがない。


大学院2年の冬。学校での授業が皆無なので私は卒業前にマンションを引き払い、実家に戻っていた。残り3か月で修士論文を仕上げれば良いと思って。

実家とは、学生にとって天国のふりをした地獄。母の手料理が三食食べられるうえに仕事も学校もなし。ほぼニート生活の中で論文を書く気になれるはずもなく、期限はあっという間に残り1か月半に迫っていた。

このままではまずい。地元には大きな図書館もないし担当教授のアドバイスも仰げない。それに修士論文は期限に提出すればハイおしまい、とはいかない。提出後に論文発表会があり、そこで受けた指摘をもとに加筆修正し製本したものを本提出しなければならない。こんなぬくぬくした環境で書けるほど甘いものではないのだ。


私は地元から再度大学院のある県へPCを詰めた鞄を担いで戻った。
長年住んだ街だがもう住処はないので宿を数週間借りた。それも経済的余裕がないので町家を改造したゲストハウス。狭い室内に3つの2段ベッドを詰め込んだ6人部屋(女子専用)。

私は大学や図書館にいないときには昼も夜も、入れ代わり立ち代わり訪れては旅立っていく観光客に囲まれながらゲストハウスの2段ベッドの中でラップトップを叩いていた。机は無かったし談話室みたいなところでやっていると外国人観光客に話しかけられるから。まさに“缶詰”というやつ。

そうして私は3週間で10000字を埋めた。長い人生におけるたった21日間だが、あんなにも一つのことだけに集中した期間はなかった。その甲斐もあり論文は締切前に無事提出完了。発表会でも好評で、学内の論文賞で2位を獲得できた。


祖母だったか祖父だったか定かではないが、昔「人の一生の中で大抵のことは逃げたり躱したりできるが、どうしてもやらなければならない時というのが絶対に来る」というようなことを言われた。本当だった。私にとってこのことこそがその「どうしてもやらなければならない時」だった。

まぁ実家の安寧に溺れ、早め早めに書くべき作業をため込んだ私の怠惰が原因なのだが。しかしあの論文はカーテンに囲まれた二段ベッドの中で俗世を断ち切り21日間集中したから生まれたものであって、ほかの生活をしながら少しずつ書いた論文では賞を取れなかった気もする。こればかりはシュレーディンガーの猫だ

つまり人生最大の危機をチャンスに変えるのは気の持ちようということか。
おかげであれ以来「辛いけどあの時に比べれば…」と大抵のことなら頑張れるようになった。


【空耳あわ~】ビースティー・ボーイズ