付録戦略は戦前からあまり変わってない―「幼稚園」と「少年倶楽部」の比較論―
最初これを聞いたときは、「まさか子供向けの雑誌の付録に銀行口座を付けるのか?でも今や小学生がプログラミング勉強しているご時世だし、資産運用についても幼児期から教えたほうが良いのか…」
なんて考えたが違った。組み立て式のATMの模型だった。
幼稚園9月号ふろくは「セブン銀行ATM」。モーターユニット内蔵で、お札の出し入れが楽しめます。お札を入れるときは、なるべくまっすぐ入れてください。本物と同じサイズのお札が12枚付き。8月1日ごろ発売です。 pic.twitter.com/9uVRXkV6LN
— 小学館『幼稚園』編集部 (@youchien_hensyu) July 29, 2019
これを見て真っ先に「少年倶楽部」という雑誌を思い出した。
大正時代から戦後にかけて大日本雄弁会講談社、現在の講談社から発刊されていた子供向けの雑誌だ。手塚治虫など有名漫画家に多大な影響を与えた「のらくろ」「冒険ダン吉」といった漫画を多数連載し、日本の漫画文化の基礎を作ったような雑誌。
当時、特に戦前期の読者数は驚くべき割合で、日本の小学生のほとんどが読んでいたと言っても過言ではなかった(当時は一人が購入したら友人同士で回し読みしていたから)。
そこにはからくりがあり、「少年倶楽部」は親を味方につけようとしたのだ。講談社の創始者である野間清治は「子供は親が読ませたがるようなものは読みたがらない」と言っている。現代でもそれは同じで、小学生が2chに溜まり託児所のようになってしまったことからも見て取れる。
だが金を出すのは親。だから親が子供に読ませたい、なおかつ子供も読みたがるという微妙なバランスを目指した。
今でこそ日本文化である漫画も当時は読むと馬鹿になるなんて言われて教育者や厳格な親からは目の仇にされていた(現代でそんなこと言ってる奴は気を付けたほうがいいぞ)。だが「少年倶楽部」は漫画と同じだけ、偉人の説話や図鑑のような教育の役に立つ記事を多数掲載していた。読者投稿欄には「学校の先生に少年倶楽部はためになると勧められた」なんて子供の談も載っていたくらいだ。
で、ここからが本題なのだが。
戦前期こそ栄華を極めた「少年倶楽部」も発刊当時は購読数が伸び悩み死臭が漂っていた。そこで為されたテコ入れの一つが組み立て式の付録だった。
軍艦三笠の巨大ペーパークラフト。
ほかにも名古屋城とかエンパイアビルディングとか…
当時としてはものすごいクオリティだった。
こちらのブログで詳しい内容が見れる↓
対して「幼稚園」もここのところ相次いで組み立て式の付録に力を入れてきた。別に「幼稚園」はテコ入れが必要な雑誌ではないが、明らかにバズる率がこれによって上がっている。
大人でも苦労するレベルのペーパークラフト。読者層はもちろん幼稚園児なので大人に手伝ってもらうことが前提にある。「少年倶楽部」の三笠も読者層であった小学生には難しかっただろう。彼らも大人に手伝ってもらっていたかもしれない。
なるほど、親とは敵対せずに参加させろってことね。
だって三笠の付録が発行されたのが1931年、日露戦争日本海大戦が1905年。
1931年に小学生の親だった世代って1905年時バリバリ子供じゃん。世代じゃん。
親もワクワクしながらペーペークラフト作るの手伝ってたの、ありありと想像できる。
そして今、「幼稚園」の付録に苦労する大人がSNS界隈で大騒ぎしてる。
戦略的には戦前も現代もそんなに変わってない。
金を持ってる世代を落とせば良いだけ。