多忙より究極の暇を経験しないと時間の価値って分からない

今週のお題「夏を振り返る」

はっきり言って振り返るほどの思い出がない。海にも山にも祭にも花火にも行ってないし、むしろ休日は家から1歩も出ていないことの方が多かった。ここ数年の夏はずっとだ。遊んでいる場合ではないのだ。7、8月は毎年ディズニーハロウィンの準備に追われる時期だから。

特に今年はやばい。これまでは割と市販品に頼ってきたのだが、自身のソーイング技術が向上してきたので今年は自作を徹底してみよう!なんて血迷ったことを考え、現在の修羅場が出来上がった。
もう1日だってさぼれる状況じゃない。インパまで1か月を切ったのに着用予定の衣装の3分の1も出来上がったいない。9月は2度も3連休があるのが救いだ。

 

だがどうだろう。確かに夏を楽しもう!というポジティブでリア充で胸糞悪いスタンス上では私の過ごし方はほぼ0点。(8月中に1度動物園に行ったので10点くらいか?)

しかし私の性格上、忙しくない状態で夏季休暇を過ごしたならばそれこそ0点の時間の使い方をしたに違いない。昼頃起きて古畑任三郎の再放送を観ながらアイスを食ってるうちにもう20時、ちょっとフォートナイトやって寝るかと思ったのに結局就寝は2時過ぎ、なんて生活がありありと目に浮かぶ。

私には夏の思い出は無いが、生活には充分メリハリがあった。仕事と家事の合間で時間に追われ落ち着かない反面、充実感に満ちていた。いや、過去形じゃない。今もなお、必死に準備した挙句インパ日に間に合わないかもしれないというスリルの真っただ中にいる。このメリハリを楽しむ余裕は正直言ってまったく無い。でも終わったらきっとものすごい達成感になるだろうとも思っている。

 

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もうひとつ言っておきたいことがある。むしろこっちが本題。

昼頃起きて古畑任三郎の再放送を観ながらアイスを食ってるうちにもう20時、ちょっとフォートナイトやって寝るかと思ったのに結局就寝は2時過ぎ

このような時間の使い方は確かに人間の生活としては0点だが、0点だからと言って無価値なわけじゃない。
私の学生時代の生活はこの過ごし方に学業と言う毛が生えたようなものだったが、今思えば現代人は1度はこんな時間の使い方をしてみても良いんじゃないだろうかと思う。

時間がない状態よりも膨大な時間を持て余した状態を経験したほうが、時間の大切さがよほど身に染みてくるような気がする。そしてどんなに多忙でもやりたいことをやる時間は死んでも作ろうという気持ちになる。本当に。

NEETはどうなんだよという反論が飛んできそうだが、NEETは時間の大切さがわかるからこそこれまでに失った時間に恐怖して一歩を踏み出せなくなるんじゃないかなぁ、知らんけど。)

成人してからこんな子供のような時間の使い方をするのは、実はミラコスタのスイートルームに連泊するより贅沢なことだと思う。

www.tokyodisneyresort.jp

特に社会人になったら最後、一般的な日本人がこのような生活をする機会は定年に達しても二度と巡ってこないだろう。我々の世代が老人になった時にまだ日本に「定年」という制度があるのかさえ疑問だし。

もちろんその生活に甘んじ続けると、いつかツケを払わなければならない時が来るので、ほどほどに。
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